2012年6月6日に金星の面通過

地球-太陽間距離を求める

ハレーの提案

17世紀当時、それぞれの惑星の軌道の大きさの比は、観測から求められていましたが、実際の大きさ、長さがどれくらいなのかよくわかっていませんでした。

1663年、スコットランドのジェームズ・グレゴリー(1638~1675年)は、水星や金星の太陽面通過を観測すれば、地球-太陽間距離を正確に測れることを指摘しました。(資料11資料27

そして、ハレー彗星で有名なイギリスのエドモンド・ハレー(1656~1742年)は、南天の星図作成のために南大西洋のセント・ヘレナ島に滞在中(1676~1678年)、1677年11月7日の水星の太陽面通過を観測しています。このことをきっかけに、ハレーは、金星の太陽面通過の観測から地球-太陽間距離を求めることに関心をもったようです。

地球上の(とくに緯度で)互いに大きく離れた観測地点から観測すれば、太陽面を動く金星の経路がわずかにずれる(下図ではズレを誇張してあります)はずです。太陽面通過時、水星よりも金星のほうが地球に近いため、太陽面通過時の経路のずれは金星のときのほうが大きくなり、また金星像も大きいので観測しやすくなります。ハレーは、来る1761年と1769年の「金星の太陽面通過」を観測して、金星や太陽までの距離を求めようという詳しい提案を1716年の論文で行っています。(原理の概要はすでに1691年の論文で発表していました。(資料7資料12, 資料28資料29資料30資料31資料32

金星の太陽面通過を使って地球-太陽間距離を求める(図:出雲晶子/二次利用可)
天体や軌道の大きさの比率は、実際とは異なります。
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金星は水星よりも地球に近くなるため、わずかな「見えかたのちがい」を測定するには好都合です。それでも、仮に地球上の南北両極2点から金星の太陽面通過を観測できたとしても、太陽面での金星像のずれは金星像そのものの大きさ程度にしかなりません。


2004年の金星の太陽面通過におけるインド、オーストラリア、スペインからの見え方の違い
(GONG Collaboration / VT-2004 programme)
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1761年と1769年の「金星の太陽面通過」までハレーが生きていることはできませんでした。(ハレーは1742年に死去)

ハレーが提案した方法では、「金星が太陽面通過に要する経過時間(前図のΔt1とΔt2)を正確に測定する」というものでしたが、フランスのジョウゼフ-ニコラ・ドリール(1688~1768年)は、ハレーの方法を改良し、2つの観測地点からの、太陽面通過開始時刻を正確に測定すればよいという方法を1722年に考案しました。(2つの観測地点からの、太陽面通過終了時刻でも可)この方法なら観測地の選択の幅が広がります。ハレーの方法では、観測地点の経度が詳しく分かっていなくてもよいのですが、ドリールの方法では詳しい経度がわかっている必要がある、という特長があるため、一長一短です。ちなみに、ドリールは1724年にロンドンでハレーと会い、金星の太陽面通過について議論した、ということです。(資料7資料13資料14資料15資料29資料32資料35資料54

列強による観測競争

18世紀、19世紀と、ヨーロッパ諸国やアメリカなどが、他国よりもすぐれた成果をめざして、太陽系の実際の大きさをはかるための「金星の太陽面通過観測隊」を世界各地に送りました。(世界地図上の主な観測地観測地リスト

18世紀のイギリスとフランスは、植民地獲得のため何度も戦っており、観測隊に被害が及ぶこともめずらしくありませんでした。命がけで海外に出発した観測隊にはフランスのギヨーム・ル・ジャンティ(1725~1792年)のような悲劇に見舞われる者もいたのです。 彼は1761年6月の金星の太陽面通過をインド南東部のポンディシェリーで観測する計画を立て出発するのですが、目的地がイギリスに占領されたため、ゆれる船の上で観測せざるをえませんでした。満足な結果を出すことができず、その8年後、1769年6月にも再挑戦します。今度も問題発生!ポンディシェリーの天気は芳しくなく、金星の太陽面通過を観測することはできませんでした。がっかりした彼を帰国の途で待っていたものは、なんと船の遭難です。ようやくフランスに帰ることができたのは、出発から11年もたってからのこと。彼はすでに死んだものとされ、相続された財産をとりもどすのはたいへんな苦労でした。

海洋探検家でもあったイギリスのキャプテン・クック(1728~1779年)の最初の航海では、1769年6月の金星の太陽面通過の観測が、南太平洋のタヒチで行われています。(記念碑)これはイギリス王立協会の要請によるものでした。隊員にはグリニッジ天文台のチャールズ・グリーンも加わっていました。快晴に恵まれ、観測は成功したのですが、「ブラック・ドロップ現象」(以下に説明)が問題になりました。(資料20資料40

ブラック・ドロップ現象

残念ながら、ハレーが期待したほどは地球-太陽間距離の正確な値が求まりませんでした。金星が太陽面に入るときと、出るときに、金星像がもちのように変形する「ブラック・ドロップ現象」が正確な時間測定をさまたげたのです。

ハレーは1秒精度で観測できると考えていましたが、第2接触時(内触の始め)、第3接触時(内触の終り)の見積もりには、すくなくとも10秒、観測者によっては30秒~1分もの違いが生じていました。(資料1

太陽面の縁、金星像に変形が見られます(2004年)
June 8, 2004 Venus Transit (Egress) / VT-2004 programme Elio Daniele, Gruppo Astrofili O.R.S.A. Palermo, Italy
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時代が新しくなるほど、ブラック・ドロップ現象の報告が減っていることから、使用する望遠鏡のレンズの良し悪しが関係していることが予想されました。(資料35資料53

1999年11月の「水星の太陽面通過」が、人工衛星「TRACE」から観測されました。大気らしい大気のない水星の太陽面通過を、地球大気の外で観測した結果、やはりブラック・ドロップ現象が観測されたということです。こうした結果から、太陽の周縁減光と望遠鏡による像の不鮮明さが原因であると見られています。(資料17資料18

1898年8月に発見された小惑星(433)エロスは、火星や金星よりも地球に接近する軌道をもつことがわかりました。そこで、地球上各地でエロスを観測し、背景の星々に対するエロスの位置を測定し、距離を求めようということになりました。1930~1931年の接近時には、世界の25の天文台が観測に参加し、3千枚近い写真が撮影されました。

さらに、第二次世界大戦後になると、レーダーを使って金星までの距離が正確に測定される時代に入りました。(資料7資料21